漬物名 |
ワ ン ポ イ ン ト 解 説 |
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○江戸時代の末期頃から、大根の産地であった御器所村(現名古屋市昭和区御器所)でたくあんづくりが盛んになり、良質であったことから明治から大正時代にかけ、全国的に有名になりました。
○御器所村の大根栽培は、明治時代になると連作障害により次第に衰退し、代わって知多郡、碧海郡や尾張一宮に大根の産地が形成され、御器所たくあんの原料大根を供給するようになりました。
○このたくあんの原料大根の産地の移動に伴い、御器所以外の県内各地でも地元産の大根を使ったたくあんづくりがさかんに行われるようになりました。
○昭和の時代になると、大根栽培の適地であったことと併せ、冬の海岸からの季節風が大根の天日干しに最適であったため、渥美半島でのたくあんづくりが盛んになり、御器所たくあんに代わって渥美たくあんが全国的に有名となりました。
○昭和50年代頃からは他産地の台頭やたくあん需要の減少などにより渥美半島でのたくあんづくりは次第に減少し、現在では「渥美たくあん」は幻のブランドとなってしまいました。このため、関係者がそのブランドの再興に努めているところです。
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○守口漬は、愛知、岐阜で生産された守口大根を粕漬にしたもので、奈良漬の一種です。
守口漬は現在では名古屋の名産品として全国的に知られています。
○現在の守口漬の基礎を築いたのは、明治時代、中京繁盛の主と呼ばれた実業家の山田才吉といわれています。
明治15年に山田才吉が「守口大根を塩漬けにし脱水した後に、酒粕で何度も漬け換え、大根の繊維質を柔らかくした後に、味醂粕で味を調え仕上げる」という独特の漬け方を考案し、「守口大根味醂粕漬」として販売したところ大評判となりました。(この漬物は、その後単に「守口漬」と、略称で呼ばれるようになったそうです。)
○その後、岐阜や名古屋の漬物製造業者にもこの漬け方が伝わり、多くの守口漬製造業者が現れました。
○戦前までは守口漬は岐阜と名古屋それぞれが名産品として販売していましたが、昭和25年に愛知県で開催された第1回国民体育大会のおり、名古屋の業者が名古屋駅構内で「ういろう」、「きしめん」とともに「守口漬」を国体土産として販売したところ大評判となり、次第に全国に「名古屋名産守口漬」のイメージが定着していったようです
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○福神漬は明治時代に東京・上野の乾物業者が考案したのが起源といわれています。
○名古屋でもたくあん漬の業者が、醤油樽に塩漬大根やなすの刻みを入れ、たまり醤油に酢と砂糖を加えた物に漬けたものを「あちゃら漬」、「刻み酢漬」という名称で販売していたそうですが、これがのちに名古屋の福神漬に発展したのではないかとの説があります。 |
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○山ごぼうはキク科アザミ属の植物で、正式な名前は「もりあざみ」といい、その他にも「きくごぼう」や「ごぼうあざみ」とも呼ばれています。
○愛知県では長野県との県境付近に自生しており、三河山間地域では古くから山菜として利用されていたようです。
○この山ごぼうを愛知県の豆味噌(赤味噌)でじっくりと漬け込んだ味噌漬は、風味豊かでカリカリとした歯ごたえがあり、愛知県の特産漬物のひとつになっています。 |
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○はじかみとは、古くはしょうがや山椒(さんしょう)の呼び名でしたが、現在では酢漬けした芽ショウガのことを「はじかみ」と呼んでいます。
○愛知県愛西市で作られるはじかみは全国の流通量の5割以上を占めていると言われ、地域の特産品になっています。 |
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○浅漬とは野菜類を短時間漬けたもので、一夜漬け、お新香(おしんこ)などとも呼ばれます。
○かっての漬物の主流はたくあんでしたが、最近ではサラダ感覚で食べられる浅漬が人気となり、漬物の主流となっています。 |
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○ご存じのとおりキムチは朝鮮半島が発祥の漬物ですが、現在では日本でもすっかり定着し、現在では漬物売り場の主要な漬物のひとつとなっています。
○キムチは、最近注目を浴びている植物性乳酸菌が豊富な乳酸発酵漬物です。
○キムチは平成13年にCODEX委員会において、国際規格が定められ、現在では国際食品として流通しています。
○日本一の愛知県産のキャベツを使ったキャベツキムチができました! |
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○塩蔵したきゅうりを輪切りにして塩抜きした後に、醤油及び調味料で味を調えた漬物で、調味漬の一種です。
○このきゅうり刻み醤油漬は、醤油の香りとともに、パリッとした快い歯ごたえがある、ご飯にとっても良く合う漬物です。
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