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漬物づくりの盛んな愛知県では、多種多様な漬物が製造されていますが、その中で最も有名なものは、名古屋名産守口漬です。守口大根という世界一長い大根を材料として、酒粕や味醂粕でじっくり漬け込み熟成させた守口漬の黄金の輝きと芳醇な味わいは、まさに漬物の王様といっても過言ではないのでしょうか。 |
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○世界で一番長〜い大根
守口大根の根部の直径は2cm程度ですが、長さは1.2m程度にもなり、非常に細長いのが特徴で、基部から先端部までほぼ同じ太さとなります。
最も長いものでは根部が1.8m以上にもなり、世界で一番長い大根の品種といわれています。愛知県の伝統野菜です。
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○守口大根は漬物専用
守口大根は、一般の大根に比べて肉が締まって固いため、漬物用として利用されています。
粕漬けにすると非常に歯切れがよいのが特徴です。
この守口大根はすべて生産者と漬物業者との契約によって数量があらかじめ決められて生産されますので、一般の青果販売店に生の守口大根が並ぶことはありません。 |
○生産地は愛知県と岐阜県のみ
守口大根は、根部が長く伸びる特性から、栽培できる地域が非常に限定されます。
現在守口大根を生産しているのは、愛知県扶桑町と岐阜県岐阜市の2地域のみです(なお、最近になって、大阪府で守口大根の産地復活の取り組みが行われています)。
両地域とも川沿いの地域で、深くまで均質で柔らかな砂質土の土壌のため、長くて良質な守口大根を作ることができます。 |
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愛知県扶桑町内に設置されている
2つの守口大根シンボルタワー
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守口大根の由来については諸説あり、残念ながら明らかにはなっていませんが、ここでは有力と思われる説を紹介します。
−守口大根は2種類あった?−
江戸時代の昔から、大阪の天満宮の付近では宮前大根等と呼ばれた細長大根が栽培されていましたが、この大根が守口漬に利用されたことから守口大根と呼ばれるようになりました。
しかし、この大阪の守口大根は、明治時代になると市街化の進展や淀川の改修などで産地が消滅してしまい、現在では全く確認することができません。
一方、美濃国の長良川沿いの地域(現岐阜県岐阜市)でも、江戸時代からすでに「ホソリ大根」や「美濃干大根」などといわれる細長い大根が栽培されており、切干し大根などに利用されていました。
明治時代になると、この美濃干大根が大阪の守口大根に代わって守口漬に利用されたため、この美濃干大根もいつもまにか守口大根と呼ばれるようになりました。
したがって、現在濃尾平野で栽培されている守口大根は、大阪の守口大根が先祖ではなく、美濃干大根が品種改良されたものであるといわれています。 |
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【大阪の守口大根と岐阜・愛知の守口大根の由来(説)】 |
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項目 |
大阪の守口大根 |
岐阜・愛知の守口大根 |
種の由来 |
宮前大根等とよばれた細根大根 |
美濃干大根等と呼ばれた細根大根 |
名前の由来 |
守口宿名物守口漬の原料として利用されたため、次第に守口大根と呼ばれるようになった。 |
明治時代以降、守口漬に利用されるようになったため、守口大根と呼ばれるようになった。 |
書物の記載
(初出) |
時期 |
天正14年
(1586年) |
時期 |
寛永19年
(1642年) |
記載書物 |
利休の消息文 |
記載書物 |
鏡島村夫帳
(上松家文書) |
記載事項 |
「カウノ物 モリグチ大根」の記述 |
記載事項 |
干大根や細根大根などの記述 |
時期 |
寛永14年
(1637年) |
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記載書物 |
俳句集「毛吹草」
(松江重頼) |
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記載事項 |
「摂津天満宮前大根」の記述 |
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産地の動向 |
河川の改修や市街化の進展により明治時代頃に産地は消滅。
(最近になって産地復活の取り組みがすすめられている) |
明治時代以降、守口漬の原料として岐阜県で栽培。戦後になって愛知県に導入された。 |
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○種まき後約3か月で収穫できる
守口大根は9月に種まきし、12月〜1月にかけて収穫が行われます。
長さが1m以上にもなる守口大根も、播種後わずか約90日で収穫が可能になります。
○栽培適地は限定される
守口大根は形状が特殊であるため、栽培適地が非常に限られます。
柔らかく均質な土壌が1.2m以上堆積しており、中にれき(石ころ)や固い層を含まず、土壌の通気性が良く地下水位が低いことが栽培地の条件となります。
現在、守口大根は、と愛知県扶桑町と岐阜県岐阜市則武地区のみで生産されています。両地区とも長良川や木曽川河畔に位置し、良質な砂質土壌が続いているため、守口大根の栽培には非常に適した土地です。
○根を長く伸ばすため、種まき前に深く耕起する
守口大根は根が下に長く伸びるため、播種前にほ場を1m以上深く耕起する必要があります。
昔はこの深耕はすべてシャベルや鍬などを用い、農家の手作業で行われており、非常な重労働でしたが、昭和40年代に深耕用の機械(トレンチャー)が導入され、農家の労力が大きく軽減されました。
○収穫は機械を使う
収穫についてもルートディガーという機械を利用し、土を振動させて大根を抜きやすくしています。
また、最近ではごぼう収穫機を利用した機械収穫の取り組みも進めています。 |
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守口大根の生育状況(土壌断面図) |
・扶桑町の守口大根の栽培ほ場を、撮影用に特別に掘ったものです。
・地表面から根の先端までおよそ120cmの深さです。
・土壌を見ると、120cm以上掘り下げても石や礫はほとんどみられず、均質な砂の層が続いており、守口大根の根部がまっすぐ地中に伸びています。 |
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深耕機(トレンチャー)による播種前の深耕作業
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収穫間近の守口大根の栽培ほ場(12月)
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最近導入されたごぼう収穫機(ハーベスタ)を利用した収穫
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出荷用にほ場で茎葉部を切断して結束
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集出荷場に出荷された守口大根
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【守口大根の栽培法】 |
時期 |
作業名 |
内容 |
8月下旬 |
深耕作業
(深床作り) |
.ほ場を深耕機(トレンチャー)で深耕する。
・畝幅80センチメートル間隔。
・深さ100cm〜140cm、深耕幅15cm〜21cm。 |
施肥 |
畝立て時に緩効性肥料を全面施用。 |
9月中旬〜下旬 |
畝たて |
播種当日に行い、深耕したところが畝の上にくるように、畝立てを行う。 |
播種 |
播種機を使い、10アールあたり約1.5リットルの種をまく。 |
9月下旬 |
第1回間引 |
播種後7日〜10日頃。1株当たり2本立ちとする。第1回間引き時に、培土をかけて畦の一方に施用する。 |
第1回追肥 |
10月中旬 |
第2回間引 |
第2回2回間引き時に、1回目と反対側の畦に施用し、同時に中耕を行う。 |
第2回追肥 |
12月〜1月上旬 |
収穫 |
茎葉を機械でハンマーナイフモアで細断した後、トラクタ(ルートディガ)で土壌を振動させ、守口大根を抜きやすくした後に掘取りを行う。 |
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○戦前は岐阜県のみで栽培
濃尾平野の守口大根は美濃国の長良川沿いで古くから栽培されてきた細根大根が起源であるとの説がありますが、戦前までは、守口大根は濃尾平野では岐阜県のみで生産されていました。
○戦後になって愛知県で産地化
昭和26年に扶桑町の4Hクラブ(農業の若手後継者のクラブ)の会員が守口大根を試作したのがきっかけとなり、翌27年には生産者組織(扶桑守口大根生産組合、昭和43年に扶桑町守口大根漬物組合に改称)が結成されました。
その後、この組合が中心となり、愛知県、扶桑町、農協など関係機関の連携のもと扶桑町での守口大根の産地化が進められてきました。
○扶桑町守口大根漬物組合
愛知県扶桑町の守口大根の生産者で組織され、守口大根の生産出荷および守口大根の一次処理(塩漬加工)までを行っています。組合員数は10名で、21年度の栽培面積は約8ヘクタール、出荷量は111トンでした。契約栽培で出荷量等が決められています。
○岐阜愛知守口大根生産連絡協議会
岐阜と愛知、2つの守口大根の産地の連携を図るため、昭和33年に岐阜愛知守口大根生産連絡協議会が結成され、業者との契約価格の設定や受注数量の取りまとめ、消費宣伝活動などを実施しています。 2つの県をまたいだ生産者組織は全国的にも珍しいといえます。この協議会は、平成19年度に記念すべき設立50周年を迎え、10月に岐阜市で記念式典が実施されました。
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「守口大根ギネスワールドレコ-ズ(TM)町おこしニッポンin扶桑町」
平成25年11月23日 扶桑町北部グラウンドにて
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ギネスワールドレコ-ズHP 記録のニュースで紹介されています
世界記録挑戦イベントの開催に向けて
守口大根は、世界一長い大根と言われてきましたが、実は世界一を証明できる公式な記録はありませんでした。そこで、(公社)愛知県漬物協会は、創立60周年を迎えた平成25年度に、守口大根の産地や地域社会への感謝の気持ちを込めて、守口大根が世界一長い大根に挑戦するイベント「守口大根ギネスワールドレコ-ズ(TM)町おこしニッポンin扶桑町」を企画しました。世界一の記録を認定する組織に記録挑戦を申請し、扶桑町の守口大根生産者の皆さん、役場や農協と協力してイベントを開催することとなりました。
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思わぬ障壁が立ちはだかるのです・・・
世界一長い大根の記録は存在していませんでしたが、イベントの準備を始めた矢先、記録を認定する組織から、これ以上の長さでなければ世界記録には認定されないという「標準記録」が180cmであると知らされたのです。
近年、守口大根は、購入しやすいサイズの守口漬とするために、長さが100〜120cmに揃うよう、採種用の母本を選抜してきました。したがって、180cmに到底届かないことは明らかでした。このため、生産者の皆さんは、特に根が深く伸びる畑を選び、畝を高く盛り上げ、株と株の間を広げ大きく育てるなど、様々な工夫をして記録挑戦のための栽培に取り組みました。 そして、挑戦の前日には、根が途中で切れないよう深い溝を掘り、まるで遺跡を発掘するかのように、そーっと根気よく守口大根を掘りあげました。
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深い溝を掘り慎重に掘り取り |
記録挑戦の結果はいかに?
記録挑戦イベント「守口大根ギネスワールドレコ-ズ(TM)町おこしニッポンin扶桑町」は、平成25年11月23日、扶桑町北部グラウンドとイベント用に準備した畑で行いました。このイベントを守口大根に親しんでもらう絶好の機会ととらえ、一般参加者を公募しました。晴天に恵まれたこの日、扶桑町内の小学生の家族を中心に166名の方々が参加し、汗だくになってたくさんの守口大根を引き抜き、各自の一番長い大根で記録挑戦に臨みました。
大根は1本ずつ、専用のメジャーで測定していきました。測定の結果、一般参加者では180cm以上のものはありませんでした。しかし、自慢の大根を持ち込んだ生産者の中で、扶桑町の後藤雅次さんの守口大根が、191.7cmと、大根の長さで初めての世界記録に認定されたのです。苦心して栽培、収穫した努力が実り、歴史的な瞬間を迎えることができました!
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汗だくになって守口大根を抜き取る一般参加者の皆さん |
生産者の皆さんが記録に挑戦
アイチタルオ大王も応援!! |
後藤雅次さんの守口大根が、191.7cmで世界記録に認定!
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参加した子ども達、アイチタルオ大王と一緒に
記念撮影 |
守口大根と守口漬のこれから
地元扶桑町では、小中学生の皆さんが地域学習等で守口大根や守口漬について学んでいます。今回の世界記録認定をきっかけに、子どもたちが地域産業や食への関心を一層高め、地域を誇りに思う人材が育っていくよう期待されます。
「和食」の無形文化遺産登録や今回の世界記録認定を励みに、地元や国内をはじめ世界に向けて、より一層守口大根と守口漬の情報発信に励んでいきたいと思います! |
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愛知県の守口大根の生産者組織である扶桑町守口大根漬物組合が平成14年度に創立50周年を迎え、守口大根のシンボルタワーの設置や守口大根長さ比べコンクールの実施など、各種のイベントを実施し、守口大根のイメージアップに努めました。
なお、関連団体である岐阜愛知守口大根生産連絡協議会も平成19年度に設立50周年を迎えました。 |
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記念祝賀会での鈴木漬物協会長祝辞 |
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守口大根シンボルタワーの設置
(扶桑町地内) |
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守口大根長さ比べコンクール
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守口つけ太くんシールの作成 |
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(平成19年度) |
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愛知県と岐阜県、2つの産地の共生を図るため昭和33年に設立された守口大根の生産者組織である「岐阜愛知守口大根生産連絡協議会」が平成19年度に記念すべき設立50周年を迎え、10月25日(木)に岐阜市内のホテル十八楼で記念式典が開催されました。 |
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式典の状況 |
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高橋協議会長あいさつ |
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功労者への感謝状贈呈 |
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50周年記念誌 |
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宇都宮大学で開催されただいこんサミット2007に、愛知県漬物協会の会員である扶桑町守口大根漬物組合の田中豊組合長が守口大根についての講演を行いました。
加えて、サミットでは守口大根の実物や守口漬の展示・試食も行われ、大勢の来場者の関心を集めていました。 |
・開催期日:平成19年12月1日(土)
・開催場所:宇都宮大学 大学会館2階 多目的ホール
・主 催:だいこんサミット2007実行委員会・宇都宮大学農学部アグリ支援機構
・主な参加者:大学関係者、行政、試験研究関係者、種苗会社、その他一般参加 |
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守口大根と守口漬の展示会 |
田中豊組合長の講演 |
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12月〜1月に収穫された守口大根は厳しく選別され、良品のみを選んで漬け込みます。
第1次加工の塩漬けから始まり、時間をかけて何度も酒粕や味醂粕に何度も漬け替えられます。
種まきから数えて2年以上もの時間をかけ、守口大根は琥珀色で独特の芳醇な香りを漂わせ、独特の歯ごたえのある守口漬へと生まれ変わるのです。 |
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○河内国守口宿の守口漬
河内国守口村では、江戸時代になると宿場が置かれ、宿場町として賑わうようになりましたが、この守口宿の名産品として、野菜類を粕に漬けた守口漬が作られていました。しかし、当時は酒の粕は貴重品であったため、この守口漬は一般庶民の口にはいるようなものではなく、贈答品や献上品として少量作られていたにすぎませんでした。
当時の守口漬の漬け方は水分の多い汁粕に塩を加えたものに大根などを漬け込んだもので、塩漬した大根を酒粕や味醂粕で何度も漬け換えるという現在の守口漬の作り方とはかなり異なっていました。
なお、明治時代になるとこの守口宿は交通ルートの変更などから次第に衰退し、それに伴い当地の守口漬は奈良漬に吸収され、奈良漬の一種として扱われるようになったようです。 |
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○名古屋(愛知)の守口漬
名古屋では、江戸時代末期頃に、一部の料理屋で瓜や大根を粕漬(奈良漬)にして客に出していたといも記録があり、古くから粕漬が行われていたようです。
明治時代に中京地域で活躍した実業家「山田才吉」はもともと料理人出身で、明治14年に名古屋市中区で漬物店(きた福;現滑多福総本家)を創業しましたが、塩漬けした美濃干大根(守口大根)を酒粕に漬け込み繊維質を柔らかくした後に、味醂粕で仕上げるという独特の粕漬を考案し、「守口大根味醂漬」として売り出したところ、大好評となり、後に守口漬と呼ばれるようになりました。
現在の守口漬はこの山田才吉が考案した手法が基本となっています。 |
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【守口宿の守口漬と岐阜・愛知の守口漬】 |
項目 |
守口宿の守口漬 |
岐阜・愛知の守口漬 |
製造法 |
湯通しした大根を一旦天日干しにした後、汁粕に塩を少し加えたものに漬け、軽く押しておく
*当時の守口漬は必ずしも守口大根だけではなく、野菜類の粕漬全般を守口漬と呼んでいた。 |
塩漬けした大根を酒粕で何度も漬け換え繊維質を柔らかくし、最後に味醂粕で味を調える。
*明治15年に岐阜の料理人山田才吉が名古屋市内の漬物店で考案した製造法が広まり、岐阜、愛知で製造が盛んとなる。 |
名前の由来 |
天正13年(15859年)、守口村で休息した豊臣秀吉がその味を賞賛し、「守口漬」と命名したとの伝承が残されている。 |
名古屋の漬物店主山田才吉が販売した「守口大根味醂粕漬」の名前が省略され、単に守口漬と呼ばれるようになった。 |
動向 |
明治時代以降の守口宿の衰退とともに、現在では奈良漬の一種として扱われている。 |
戦前までは岐阜県の特産品のイメージが強かったが、昭和25年に愛知県で開催された国体で守口漬が土産品として好評を博してから、名古屋名産のイメージが全国的に定着していった。 |
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○名古屋名産守口漬
守口漬は戦前までは美濃干大根(守口大根)の産地である岐阜県で多く製造されており、当時は岐阜県の特産品として知られていました。
昭和25年に愛知県で第1回の国民体育大会が開催されるにあたり、名古屋市内の守口漬製造業者が運動し、名古屋駅構内で「きしめん」や「ういろう」とともに「守口漬」を国体土産として販売したところ、大評判となり、これ以降、守口漬は名古屋の特産品というイメージが広まっていったようです
現在では、全国的に「名古屋名産守口漬」として知られています。 |
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守口漬は収穫した守口大根を直ちに塩漬けにし、脱水した後に酒粕に何度も漬け込まれ、2年余の時間をかけてじっくりと熟成させてできあがります。
使用する酒粕の質は酒造会社や製造時期により大きく異なるため、守口漬製造会社では酒粕のブレンド方法を工夫したり、漬け方を若干変えたりして、年間を通して同じ味・品質の守口漬を作るように努力をしています。 |
時期 |
作業 |
内容等 |
備考 |
1年目 |
12月〜1月 |
塩漬
(一時加工) |
・収穫した守口大根を直ちに塩漬けにして、大根の水分を脱水します。 |
扶桑町守口大根漬物組合で加工 |
2月 |
下漬
(2次加工) |
・塩または塩に酒粕を加えたもので守口大根を漬け換えます。 |
守口漬製造業者 |
5月頃 |
1回目味付
(1番) |
・塩漬けが終わった大根を酒粕で何度も漬け込む。
・何回も漬け換えることにより塩分を徐々に抜くとともに大根の固い繊維を柔らかくする。
・漬け込む回数が多いほど味がまろやかとなり、美味しくなる。 |
9月〜10月頃 |
2回目味付
(2番) |
(3〜4か月毎)
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3回目味付(3番)
(〜5回目味付(5番)) |
2年目 |
(塩漬後2年余)
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仕上漬 |
酒粕に味醂粕を加えたもので仕上げ漬を行い、味を整える。 |
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守口漬の漬け換え作業 |
琥珀色に仕上がった守口漬 |
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袋に入った守口漬は、1回に食べる量だけを袋から取り出し、酒粕を拭き取るか、軽く洗い流した後に、お好みの形に切ってしてお召し上がりください。袋を開封した後は、そのまま袋ごと冷暗所(冷蔵庫)で保存すると、風味が長持ちします。なお、袋に残った酒粕を利用して、自家製の即席粕漬を作ることもできます。良質の粕漬けができますので、使わなくてはモッタイナイです。
【野菜の一夜漬】
残りの酒粕に少量の塩を加え、胡瓜や大根を一晩漬け込と浅漬感覚の粕漬ができあがります。
【魚の粕漬】
残りの酒粕に鱈などのお好みの白身魚の切り身や貝柱などを2〜3日漬け込んでから焼くと、香りの良い焼き魚になります。 |
守口漬のお茶漬 |
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○褐色の色素メラノイジン
守口漬や奈良漬は食物繊維を豊富に含むとともに、熟成の過程で生成された「メラノイジン」という褐色の色素を含みます。このメラノイジンは、細胞膜を丈夫にする作用を持っており、細胞を丈夫にすることにより様々な栄養素を吸収しやすくします。このため、メラノイジンはストレスに対する抵抗力を高め、ビタミン、ミネラルの吸収を助ける効果があるとわれております。
○うなぎと守口漬(奈良漬)
スタミナ食の代表といわれているうなぎは、ビタミン類(A、B1、B2、D)やカルシウムなどが豊富に含まれています。
店で食べるうな丼に守口漬が添えられているのをよく目にしますが、うなぎといっしょに守口漬を食べると、守口漬に含まれるメラノイジンの作用によりうなぎのもつ栄養素を効率よく摂取できるといわれています。
このように、栄養豊富なうなぎと守口漬は相性がぴったりなのです。
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2005年3月25日から185日間にわたり愛知県で開催された万博の長久手愛知県館に設置された「あいち・ふるさと自慢市」で、守口漬消費宣伝・即売を実施しました。
名古屋守口漬暖簾会の会員会社11社が共同で4月から6月まで、73日間の長期にわたり、守口漬の試食・即売を実施し、会場を訪れた大勢の方に名古屋名産守口漬を賞味して頂きました。 |
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−名古屋守口漬暖簾会(のれんかい)− |
名古屋守口漬暖簾(のれん)会(鈴木昌義会長)は守口漬の業者団体組織で、守口漬の消費拡大や守口大根の生産振興等の事業を実施しています。現在愛知と岐阜の守口漬製造業者等12社が加入しています。
昭和27年に結成され、当時は「名城会」という名称でしたが、昭和59年に現在の名称に変更されました。
守口漬の原料となる守口大根は、すべて生産者と業者の契約によって栽培されていますが、この名古屋守口漬暖簾会と愛知と岐阜の守口大根生産者組織である岐阜愛知守口大根生産連絡協議会との間で契約が交わされ、毎年の生産数量と価格が決められています。
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会社名 |
会社所在地 |
電話番号 |
備考 |
株式会社安藤本店 |
名古屋市東区代官町24番18号 |
052-936-3411 |
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阿己雪漬物店 |
名古屋市中区大須2丁目18番39号 |
052-222-3722 |
大須商店街にあります。 |
株式会社アサダ |
名古屋市中村区稲西町181番地 |
052-411-8141 |
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株式会社喜多福総本家 |
名古屋市中区栄一丁目4番9号 |
052-231-2888 |
広小路通沿いです。 |
株式会社いづ藤漬物舗 |
名古屋市中区錦三丁目13番33号 |
052-961-0541 |
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株式会社尾張屋 |
西春日井郡西枇杷島町西六軒町88 |
052-501-3727 |
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株式会社大和屋守口漬総本家 |
名古屋市中区栄三丁目15-1 |
052-251-0431 |
大津通沿いです。 |
株式会社扶桑守口食品 |
丹羽郡扶桑町大字山那字屋敷地757番地 |
0587-93-8670 |
屋号は壽俵屋です。 |
有限会社丸清商店 |
名古屋市西区則武新町二丁目3番9号 |
052-571-5368 |
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株式会社丸越 |
名古屋市天白区道明町71番地 |
052-831-1257 |
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株式会社若菜 |
海部郡蟹江町蟹江本町ヤノ割46 |
0567-95-3111 |
銀座若菜でもお買い求められます。 |
有限会社神谷食品 |
安城市城ケ入町丸根17番地 |
0566-92-0455 |
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お求めやすい500〜600円程度のパック詰めから、贈答用の1万円以上の木樽詰めまで、各業者が多様な製品を取りそろえております。上記の業者から入手できますので、ぜひいちど守口漬をご賞味ください。
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*このページの記載にあたっては守口漬ものがたり(田中彰吾著 中日新聞社刊)を参考にさせていただきました。 |
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